
と き:2026年10月10日(土)~12日(月/祝)
ところ:山梨県北杜市武川町の「古民家 鷲の家」と その周辺の自然
ゲスト講師:古屋 真弓さん(日本民藝館 学芸員)
今年度2回目の全体を学ぶ学校は『民藝』をテーマにお送りしました。
春に開催した「石積み」同様、この「民藝」も永年テーマ候補にあがりながら実現しなかったものでしたので、まずは開催できたことが大きな喜びでした。
寝食を共にして学ぶことに加えて、講師もスタッフも自分の担当以外は学ぶ人になる、というのがこの学校の面白いところだろうと思います。その意味で、自分も学ぶ気持ちで参加してくださる講師陣には本当に頭が下がります。
急かされず、ゆったりとした時間の流れの中で、みんながワクワク学び、新しい気づきと出会い、様々な大切なことを腑に落としていく。今回も、こんな贅沢な時間を持たせてもらえる幸せに心から感謝したのでした。
3日間の様子をご覧ください。
自分たちが今まで学んできた知識をつなぎ合わせる時間と空間です。
頭だけでなく、手も、足も、心も、自分の全体を使って、すべての いのち が、すべての事がらが、お互いに関係し合い、存在していることを腑に落としていきます。
つながりを知ることで、今まで学んできたいろいろがより生きたものとして自分の中で育ち、私たちの世界を広げます。それは自分の根を育て、いのちの基を作る作業でもあります。
楽しくワクワクしながら自分を育てる場所。自分の生き方を見つける場所。それが 「全体を学ぶ学校」 です。
「全体を学ぶ学校」の詳細はこちらをご覧ください。
森からの学び
アメリカ先住民リパンアパッチの最後の古老 グランドファーザーが伝える「地球のケア・テイカー(世話人)」という生き方に基づいて、森と自分の関係を築いていく時間です。
自分たち人間の都合で自然に手を加えることを長年続けてきた私たちが、自然と人間がどちらが上でも下でもない、共に生きる関係であることを体感する機会はなかなかありません。
ここでは、森が森として生きやすくなるように、人間が少し手を入れ 森が生きる手助けをすることを目的として、各自ができることを見つけていきます。
アースマンシップではいつも話すことですが、今回も「今日の森と出会うのは今が初めて」の心で森に入りました。
「自分は知っている」という心は、実にたくさんのものを逃してしまいますから。
身体からの学び
1日の始まりに、身体をほぐし、広い視野でものを見る、野生の目の使い方を学びます。
自分の身体の色々な部分に意識を持っていく時間は新鮮です。
あることが当たり前の自分の身体のいろんな部分を再確認しながら緩めていきます。
田畑からの学び
【アースマンシップの畑】
古民家 鷲の家の前に広がる田んぼと畑は、自然農(不耕起草生栽培)を基本として、少量多品種(年間150品種以上)の作物を種から育て、最後は種を採るところまでおこなっています。
そしてここで蒔く種は、種の交換会でいただいたものや自分で種採りをした在来種が主となります。毎年種まきをする野菜や花の他に、果樹やハーブ類も育てており、ただそこにいるだけで楽しい、命あふれる庭のような畑、畑のような庭(エディブル・ガーデン)を目指しています。
また、環境面だけでなく、経済、社会、文化の多様性、生産者と消費者の主体性の向上を目指す「アグロエコロジー」の考えを体感し、現行の農業食料システムで破壊されてきたものを取り戻すために、一人ひとりができることから始める足がかりにしたいと願っています。
【アグロエコロジー(Agroecology)】
食と農のシステムに生態学的原則を取りこみ、持続可能なフードシステムの構築を目指すアプローチです。それは、生態学的な知見を応用する【科学】であり、農民がもつ地域固有の経験や在来知と融合していく【実践】であり、公平な食料分配に向けた権力関係や社会経済システムの変革をめざす【運動】だといわれています。
もとは工業的農業や畜産への反省からうたわれるようになったアプローチですが、具体的には先住民の農業技術の再評価(先住民族運動)や、土地なし農民運動(環境運動と農地改革)など歴史・文化・自然環境・ジェンダーなど、あらゆる切り口からの問い直しをうたっています。
したがって、決して特定の栽培法や技術を示すものなどではありません。それぞれの土地に住むすべての生産者と消費者が、その土地の環境・社会・経済・文化などあらゆる点で持続可能な暮らしのあり方を求める動きの「すべて」といえます。そして、アグロエコロジーの持つ全体性は、Earthmanshipの持つ全体性と非常に似ていると感じています。
まずは畑の散策。今育っている野菜を見る。つまみ食いをする😋
見たこともない野菜や、知っている野菜でも、畑で育つ姿を見たことのないものもあって楽しい発見がいっぱい。
こぼれ種で育つトマトがたくさん実をつけているのを見て命の力強さを感じたり、種取り用の野菜の大きさにびっくりしたり。
そして、今回のメインイベントは「稲刈り」。
小さな田んぼに5種類の稲が育つアースマンシップの田んぼでは、種類ごとに刈りどきを迎えた稲を刈ります。
今回刈りどきを迎えたのは「農林48号」。
みんなで刈って、少し干して、束ねて、牛にかけました。
「民藝」からの学び
日本民藝館の学芸員 古屋真弓さんをお迎えしてもった学びの時間。
参加者には「民藝」が好きと思っている人もいれば、「民藝」ってよくわからない、知らないという人もいて、テーマにだけ興味があって参加するのではない形を理想としている全体を学ぶ学校としては、これぞまさに!とうれしくなりました。
ここで話された内容は、参加者の感想から読み取っていただけたら嬉しいですが、心に残ったことの一つをご紹介すると、柳宗悦は「知識で物を見るのではなく、直観で見ることが大事だ」と語っていたということ。
常々アースマンシップは直感を育てる場だと思って活動していて、この柳の言葉にある「直観」もアースマンシップが大事にしている「直感」もとても大事なことだと再確認できました。
水からの学び
水の道を整える。
溜まった落ち葉を退ける とか、ほんのちょっと自然に手を貸すだけで 流れ出す水。
気がつくと、自分の中の気も流れ始めています。
生活からの学び
みんなで野菜を収穫し、料理を作り、おいしくいただく。
みんなで掃除をし、心地よい暮らしを形にする。
お布団干しも、なんだか楽しい。
参加者の感想
初めて参加させていただきました。
「全体を学ぶ」という現代社会が失ってしまったとても重要な事柄で、かつ、とても難しい課題にどのようにアプローチするのかとても関心がありました。また、民藝の思想と「全体を学ぶ」ことがどのように関連するかにもとても興味がありました。
3日間の滞在中、森に手を入れ、稲を刈り、野菜を収穫し、この土地でとれた米や豆や野菜やシカ肉などをいただきました。また、皆で共に料理をし、食卓を囲み、掃除をし、布団を干し、語り合い、学びあいました。
さらには、自分の体と心をいたわる時間を持ち、自然をいたわる時間も持ちました。
このような中で、様々な事柄が自然とつながって見えてくる感覚がありました。
「全体を学ぶ」というのはこういうことかと、身体感覚として納得することができました。
この3日間は、普段の暮らしとは別の世界に来たような、不思議な時間でした。しかしよく考えてみると、このような時間は、かつてのムラでは当たり前の日常だったのかもしれません。こうした、生きることに対して真に誠実に向き合う濃密な日常性こそが、「全体を学ぶ」ことの基盤になる事を実感しました。
またそれは、民藝を提唱したかつての偉人たちが、名もなき人々の暮らしの中に発見した「美」の根源でもあることに気づかされました。
このような気づきと共に、現代の暮らしの中に「美しい日常」を取り戻していきたいと、決意を新たにすることができました。
今回の全体を学ぶ学校では、「民藝」だけを取り扱うのかと思っていたのですが、森や田畑、川の流れなどの授業もあり、いろんな面から感覚や直感を体験することができました。
森の手入れや朝の体操では、無理なく呼吸すること。
民藝や田畑では、日常や自然の中にある素材を活かすこと。その心地よさ。
川の流れでは、滞っているところに手を加えることで、苦しさのない流れを作ること。
ひとつすっと浄化される感覚。
どれも健やかに生きることの美しさの感覚が育まれました。
美しさの感覚は一度手に入れば永らく自分の中に留められるわけでもないと思います。
私生活に戻っても常に意識したり、視野を広げてものを見たり、感覚や直感を育て続けていきたいです。
この3日間で心や思考が表れ、整い、また知識や経験のある方々とご一緒して、自分の生き方の広がりを感じることができました。
3日間本当にありがとうございました!!
民衆的工芸を略して民藝。
それすらも知らない状態で参加しました。
暮らすことについて考えるようになり、参加したことでより具体的にこれからどう暮らしていくかを考える機会になりました。
講師の古屋さんは「思いが零れ落ちていくようで、なかなか話すのが得意じゃない」とおっしゃっていましたが、私は反対で、話すことで思いが人へつながっていくと考えていました。口にしないのは思っていないのと一緒、と何度も母に言われてきました。今ではその教えが私を形成していると感じています。
今回参加するにあたって、幼い息子と離れての参加になりました。
日々成長が著しい息子から離れることは寂しい反面、最近過度なパパ期で私自身心が疲れてしまっていました。
そんな時にこの全体を学ぶ学校が目に留まり、今行くしかないと確信しました。
ですが主人には仕事を調整してもらわなければならないため、相談するのに勇気がいりました。それを察してか主人から行ってくれば?と言われました。
あれほど「思いを口にしなければ伝わらない」と生きてきたのに、母という肩書から離れられない自分がそこにいると感じました。
民藝を学ぶ、という今回でしたが、私にとって「自分を取り戻すこと」が目的になりました。
古民家で過ごし、山や田畑で作業し、初めての方々と寝食を共にする。
大人になって、また母になって、そんな時間を確保することが難しくなっていました。
ですが、そんな時間が「自分を取り戻す」かけがえのない時間だったことに気づきました。
肩書をおろす時間がどれだけ大事か。最後の振り返り時間で、涙ながらに皆さんにお伝えして、それを温かく受け取ってくださる方々がいて。暮らしにかかわる「民藝」だからこそ、感じられたあたたかみでした。
私を私として受け入れてくださって、ありがとうございました。
民藝の会第2弾、心待ちにしております。
古屋さんの講座のスクリーンの写真を見てみると改めて良い講座だったことを感じます。
柳宗悦の感じた「なぜこうした日常の器物に、このような美しさが宿っているのか?」という問い。古屋さんは健康の美,平常の美と言い換えています。そして それを美の法門、美の浄土と言っています。
芹沢啓介は自分の足を使って途中を愉しみたい、それが良い仕事に繋がって行く言っています。
河井寛次郎は物買ってくる、自分買ってくると言っています。
私はこれらの言葉から学ぶことが一杯ありました。
それでも古屋さんは、民藝とはとその概念を伝えるのではなく、ご自分の意見を語ってくださいました。民藝は社会のあらわれとして生まれるもの。そして美しさが主軸であるものではあるけれど、美しさを語っているだけでは、今とこれからのものづくりや暮らしは考えられないのではないかと言っています。それは家庭科の先生が民藝を学んでほしいと言っていたことに通じるのではないか。私はそれを受けて食、精神性、身体性、全体性等と考えました。
少し私の思い出を語らせてくださ い。子供の頃ショパンの手のブロンズ像を見て衝撃を受けました。そして若い頃、轆轤を回す職人を見て憧れました。手は何でもできると思いました。柳宗悦が繰り返していると手が意識しなくても自由に動いていくと言っています。そしてそれは直感に繋がると思います。ワクワクします。
・最初に感じたのはすごく良い場所ということ。
甲斐駒ケ岳、鳳凰三山、金峰山、瑞牆山、八ヶ岳という素晴らしい山に囲まれており、ロケーションも素晴らしい。山好きの自分にとっては理想的な場所でした。
・アースマンシップは生命を大切にする場所。
おおらかで、そこに集う人が生き生きと活動することを大切にする場所であると思いました。開放的で美しい、鷲の家や庭と田畑。とても居心地の良い場所であり、普段から心を込めてその場所が維持されていると感じました。
・田畑について
良く手入れされた不耕起の田畑が美しくて素晴らしかったです。固定種の種取りも続けているということで、ますますその地にあった作物が育っていくのだなと思いました。また果樹を沢山植えられているのに驚きました。
光さんは振り返りで、アーティストとして畑をやっていきたいと言っていましたが、その言葉もとても印象に残りました。稲刈りできれいな稲架掛けを作るこだわり、いいなと思いました。私は古いものや民俗などが好きなのですが、昔のことを知るにつれて昔は人と自然が織りなす美しい風景が多くあったと感じています。百姓で思想家の宇根豊さんは「百姓仕事が自然をつくる」などの本で、昔は百姓仕事と賃働き(お金稼ぎのための仕事)は別のものだったと書かれていますが、そうした思想にも繋がっていくものと思いました。百姓仕事は民藝の手仕事のようにはずっと形には残りませんが、田畑を美しい風景とするということは一人ひとりの百姓の自己表現の場でもあったように思います。そういう仕事と暮らしを分けない在り方というのは、西欧の考えとはまた違う日本的、東洋的な深みがあるように思い、これから見直される価値観になってくるようにも思います。
・野外活動では森と沢の手入れが印象的に。
野外活動では今まで自分がしたことがなかった森の手入れと沢の手入れが新鮮で面白かったです。どちらも子供が泥遊びに夢中になるような面白さがありました。また作業をしていると、どんな植物や生き物がいるのか、彼らがどのようにツタを巻き付けたり、どのくらい根を張っているのか。ひとつひとつの生き物がそれぞれ主張しているものが見えてくるようで、飽きることがありません。また沢では水がないのではなく、水が滞っている場所があるのであって、水の流れを阻んでいるものを取り除けば、みるみる流れが太くなり、なんだかその場が喜んでいるように感じられて面白かったです。空気や水を循環させてやれば、その場の雰囲気が変わるということも実感として少し分かったように思います。
・民藝と生活について。
民藝は好きで、機会があると陶芸や織物などを見に行くこともありましたが、古屋さんの講義は民藝とはなにか考えてみる良い機会になりました。私は「用の美」という言葉が好きで、生活の中での使いやすさを追求するうちに余計なものは削ぎ落とされてシンプルな美しさが宿るというように思っていました。しかし、それだけではなく、考えるほどに奥が深いのだと思わされました。まず、民藝品が作られる土地、その土地ならではの素材など風土が深く関係していることが改めて分かりました。そして民藝品は、見る人が真摯に対峙することで語りだすものだということ。
また古屋さんが紹介してくれた柚木さんの「捨てるものは買っていないから断捨離は必要ない」という言葉も衝撃的でした。自分の生活に本当に必要なものを見極める審美眼もまた、民藝のあり方に深く関係しているように思われました。
民藝というのは単純なモノではなく、こちらの生き方までも問いかけてくるということで、ある意味で民藝道ともいえるような深い次元にもつながっていく。
実際に民藝の素晴らしい作品も展示していただきましたが、民藝品を見ているだけで癒されるような感覚があります。そして手にしっくりとする陶器、美しい織物を前にすれば、それをつくる人に対するリスペクトが自然に生まれてきます。手仕事が生み出す美しい品々は、やはり作り続け、残さなければならないものであると改めて感じました。また身近にそのような良い品があることは自分の生活にも良い影響を与えないはずがないとも思いました。
★参加者からの感想はまだ全員分掲載されていませんが、手元に届き次第順次追加していきます。

最後に、講師の古屋真弓さんが学校終了後にSNSで発信してくださった学校の感想の一部をここに転載させていただきます。

夢だったのかな?と帰りの電車に揺られながら思って、すぐに打ち消したこの2日ちょっとの時間。
夢になんてしてはいけない、濃い大切な時間でした。
アースマンシップが主催する「全体を学ぶ学校」に声をかけてもらって、レクチャーをしに行ってきました。担当するレクチャーは2日目の午後、それ以外の時間も色々な学びの時間があって、私は参加できなかった初日には森のお手入れ、2日目の午前は稲刈り、そして最終日の午前は森で水流のお手入れ。朝はまず外で体を動かしてほぐし、焦点を合わせない状態のまま視野を広く保つワイルドアングルビジョンを練習。南アルプスの山並みを眺めながら、皆で一緒に身体を動かす時間はとても心地よかったです。
畑や田んぼを主に担当している若き光くんに教えてもらいながら、稲刈。自然農法で、昔からの暦にならって6月15日頃に田植えをするので、収穫も他のより少し遅めです(というか、他が早くなっているのか)。手刈りして、天日干し。
会場となるお家は江戸時代後期に建てられた古民家。お家が待っていたとしか思えないご縁でこの家族のものとなった、初訪問でも瞬時に居心地がよくなる不思議な安心感と包容力のある空間でした。

民藝についてのお話。
アースマンシップが積み重ねてこられた活動は、私自身が民藝を軸にずっと考えてきた想いと重なる部分が多くて、最初にお話をいただいた時に、なおさんとは初めましてだったのに心の深いところで握手をした気持ちになりました。私は、言葉ではなく念のような想いの塊を持つだけのままでいたけど、アースマンシップは具体的な形で実践し続けて来られて、知れば知るほどリスペクト。
最終日の最後に皆で振り返りをシェアした時間は愛に満ちているなと…参加者の皆さんは、生活すること、自然と人とのバランスとれた付き合い方、食べるということ、などに関心を寄せて日々時間を重ねている方々で、それぞれが民藝の話を自身の土壌に根付かせてくれて、そのシェアひとつひとつに感動したし、とっっても励まされました。年齢は関係なく、皆さん、人生の先輩だった。
森や畑で仕事もして、料理も掃除もシェアして、飲んで語って雑魚寝する2泊3日、ともに生活をするっていう形式だからこそ伝わるものがあって、レクチャーだけでは片手落ちだし。
今回は講師として参加させてもらったので、ひと部屋用意くださって、その部屋の窓から見える朝の景色も美しかったです。

最終日の午前は森の水流のお世話をしました。
落ち葉や折れた枝などが堆積して、山の中を流れる水の道が邪魔されてしまい、本来流れるはずの水が溜まってしまって流れなくなっているから、ときどき落ち葉とかを取り除いて流れるようにしてあげるんですよってお話を聞き、じゃあ水の道をちょっと上がっていきましょうかと登っていきました。
取り除いておいて、いつかまた雨が降った時や雪解け水などが流れる時のためにいい状態にするのかなと思っていました。そしたら、先生の淳さんが、石の下あたりとかに溜まってるんだよねと言って竹べらで堆積落ち葉を少し掻き出したら、あ、出てくるよ、ここをもう少し取ってあげると流れるかもと。
見ていたら、あれよあれよと水が流れ出て来ました!びっくり!ちょっと落ち葉をどけただけなのに!いつか来る雨の日のために、ではなくて、山の中でいま外に出たがっている溜め込まれた水を外に出してあげるということ。9月は雨も多かったので山が水をたくさんかかえていたからすぐ出てきたけど、落ち葉を取り除いても出てこない時もあるそうです。
上から流れ出てきた水が下に降りて行きやすくするべく、それぞれで道らしきところの整備をしていたのですが、興味深かったのは、落ち葉や枝や滞った泥を取って一見、とても流れやすい道になって、よかったこれで流れる!と思うと、水は自分の道を自分で決めるから、こちらがここだろうと意図した道にどこか不自然さがあるのか、本来の道と違ったのか、一瞬そこを通っても、しばらく見ていると水の流れが止まるのです。意に沿わなかったのかな。そして、流れたい方向に何となく行こうとするの。そうだよね、自分の道は自分で決めるよね。
水流の中のほんの小径の話ではあるんだけど、まだまだ見えてないものだらけですね。本来は、下から手入れをしていくそう。それなら一層、水の気持ちを知らないとですね。
今も、あの水たちは無事に外に出て行けたかなと気になってます。いつか淳さんの後ろについて、森のいろいろを習いたいな。

何度も思い出す…というか、いつも思ってる。
最終日、「全体を学ぶ学校」の時間を振り返った時に、東京で仕事を終えて電車に乗ったのは一昨日のことなのに、遠い遠い昔のことみたいで、実感を持って思い出すことが難しかったです。それだけ、武川での時間が濃密で、長い長い時間のようだったから。
その時にハッとしました。24時間の流れは変わらないのに、1分1秒の密度が全然違ったから、とても長い時間を過ごしたように感じるんだなと。年を重ねると特に、1日、1年があっという間に過ぎちゃって何やってたんだろうってよく言われるし、自分でもよく思ってきたけれど、そうじゃないのかも。飛んでしまうくらい軽い時間が多すぎるんですね。少なくとも私は。
かと言って、重苦しい時間では全くなかった。「長いような短いような」って感じる時間の最上級形みたいな感じかな。こんなこと、皆さん、とっくに知ってるのかもしれないけど、私は大きな発見になりましたの
2026年度の全体を学ぶ学校はこれで終了です。
来年度も、ワクワクしながら全体のつながりを学び合える場を作っていきたいと思います。
次はどんなテーマ、どんな講師と出会えるか、私はもうすでにワクワクしています。
みなさまも、どうぞお楽しみに!
今年度ご参加いただいたみなさま、講師のみなさま、ありがとうございました!
企画・コーディネート担当 岡田直子

















































