大地と共に歩む道(上)

文:岡 田 淳

自然の時間の中に身を置くキャンプで得られるもの

都会からさほど遠くない渓谷で、いろんな人が自然とふれあい、野性を取りもどしてゆく。
時計や携帯電話を身から離し、太陽の位置や空をながめて時間を知る。野生の鹿が訪れ、夜にはフクロウが鳴く。谷川に下りて水を汲み、自らの今日の寝る場所を森の中に作って眠る。題して「大地の声を聞くキャンプ」。
森を歩いて薪を拾い、オノで薪を割り、一人一人が自分だけの火をおこし、焚火をつくる「たき火塾」。
フリ−プログラムの「子どものびのびキャンプ」。
私たちの行なっている自然塾すべてに共通していることと言えば、自然の時間の中に身を置き、必要のない規律やスケジュ−ルにしばられないこと。そしてまわりの自然、自分の心の声に耳を澄ますことだろう。そういう開いた感覚の状態になると、人は自然を感じ楽しみながら、同時に危険察知能力も高まる。
プログラムを進めるうち、初めて会った人たちの表情も次第にほぐれ、ひとりひとりがいい顔になっていく。火を囲むだけで、心の中でとらわれていたものがしだいに溶けてゆき、いつのまにかやわらかくなってくる。心と体が洗われて、新たに見えてくるもの、よみがえってくるものがある。

アメリカで環境学を学びながら芽生えた疑問

子供のころから私は自然好きの祖父や両親の影響で野山が好きだったのだが、中学生の頃、好きで通っていた近所の雑木林が開発のために伐採されることになり、それを守るための運動が起こった。私の家はその事務局となり、あらゆる人たちが手弁当で集まった。訴訟をおこし、裁判は10年以上続いた。敗訴したものの様々な成果はあり、何もしないよりは自然も残った。
ちょうど全国で自然保護の運動が活発になってきた頃のことだ。開発されそうになっていた山に10人ほどで入った時、開発してほしいと思っている200人ほどの棒を持った地元の人たちに囲まれたこともあった。海外ではどうしているのだろう、と思った。
そして今から25年前、私は環境のことを勉強するため、アメリカに渡った。
知人のアメリカ人の家庭に世話になりながら、カリフォルニアの大学で環境学を学び始めた。生活や文化は何もかも新鮮で楽しかったが、大学での勉強はすさまじく、英語で苦労した。
日本ではまだ、学問の世界に環境とか、エコロジ−という言葉がない時代だったので、環境学の教科書が版を重ねているアメリカには驚いた。ため息が出るほどの美しいナショナルパ−ク。それを管理するビジタ−センタ−とレンジャ−。そこにはすばらしいものがたくさんあった。
ただ日々の暮らしの中では、郊外の中流の住宅街でもゴミは分別なしに行政が埋め立てていた。川のないはずの南カルフォルニアの青い空の下には緑の芝生の住宅地が続き、プ−ルがヤシの木を写してキラキラと光っていた。大学では巨大な図書館や教室に冷暖房が完備され、人のいない広大な芝生ではスプリンクラ−が回っていた。
誰もがしているように、私は大きなハンバ−ガ−にコ−ラを飲み、クッキ−を食べ、負けないパワ−を身につけようとした。しかしあっという間にほとんどの歯は虫歯になった。何かが違うと思った。

 

ある日、隣まちの自然博物館を訪れてみた。ひっそりして誰もいない館内には、西部の開拓の歴史を物語る絵や道具、動植物の剥製や模型が展示されていた。印象に残ったのはみんながインディアンと呼んでいた赤い肌の色の人たちの絵だった。馬に乗り、生活をしている絵だったろうか。この人たちはどこに行ったのだろう。それは聞いてはいけないことなのだろうか。ここでも疑問が残った。

 

やがてユタ州の大学に移り、なんとか卒業した。その後カリフォルニアに戻り、老舗の環境団体で働かせてもらった。日本を出てから5年以上が経っていた。

過酷な自然の中で委ねることを学ぶ

アメリカを引き上げて、日本に帰った時、ある人にこう言われた。自然環境の仕事をしたいなら、まずはビジネスをしなさい。その言葉に何かわかる所があった。それから広告の仕事、物を売る仕事、商品開発や企画の仕事を経験した。人が求めているものを探っていると、自分の心がそうであるように、自然志向の商品を作るようになった。東京都内の有名店の棚に並べてもらえるような商品も作れるようになったが、やはり次第に本当の自然の中に人を連れていきたい、と思うようになった。

 

そして自分にとって第二の故郷になっていたアメリカを再び訪れた。今度はアウトドアの体験を通して人にとって大切なことを伝えるという教育の指導法を学ぶことになった。山を越え、川を下り、荒野を歩きつづけるプログラム。夏の終わりにロッキ−の山に入り、すべてを終えて山を降りてきたのは街にクリスマスの飾りつけがあふれてきた頃だった。小さい時から山登りやキャンプはくりかえし経験してきたが、その時初めて、大雨の中でも、四千メ−トルの山の吹雪の中でも、シ−ト一枚あれば死なない方法があることを知った。

 

そうして野外での技術と体力に自信が出てきたころ、事故が起きた。ひとりで岩山を降りていた時のこと。目の前にある岩に足をかけようとしたとき、頭のなかでは「その岩は転がるから気をつけろ!」という声があったのに、足はその岩を踏んでいた。そして岩は転がり、僕も転がった。足の靱帯の一部が切れたのだろう。呼吸もできないほどの痛みを感じた。私はただただ「神様ごめんなさい」と声にならない声で叫んだ。こんな自分と出会ったのは初めてだった。これは罰とういよりも、慢心していた私へのプレゼントだった。 吹雪の山を越えて歩けるようになっていた私は、この事故に遭う前、岩山の上で自然と一体になるため瞑想をしていた。風の音しか聞こえない、人間のいない世界で、深いレベルに入るのは難しいことではなかった。しかし後で考えると、そこには祈りがなかった。自分中心の天地自然を感じ、宇宙を描いていた。すべての真中に自分が座っていた。委ねることが祈ることであり、大きな力を得る唯一の道であることをその時知った。近くの町まで歩いて数日かかる荒野の中でのできごとだった。

 

さらに私は、赤い岩山を見ながら歩いた。真っ青な空、そして小さな人間。一日かけて上った山の頂上からは、はるか地平線まで山と大平原が続く。様々な動物たちの群れと出会った。過酷な自然の中にいると野生のヒツジであれ、ヤギであれ、空を舞うタカであれ、出会う命がいとおしい。

 

あるとき、乾いた大地に水の匂いがした。岩山に囲まれた一角に青い水が沸き、ガマなどの水草が生えているではないか。そして近くの岩の中に壁画を見つけた。そこにはなんと4人の人の顔が岩を削るように描かれていた。お父さん、お母さん、そして子供たち。かわいいイヤリングにネックレスをつけた、そこに暮らしていた家族の絵だった。あとから聞いてわかったのだが、今から千二百年以上昔、このあたりには、今のネイティブ・アメリカンの祖先であるアナサジという人々が住んでいたという。たった一つの小さな泉を糧にここに家族が暮らしていたのだと思うと、とてもいとおしいと思った。昔、博物館で見た赤い肌の人たちのことを思い出した。

環境専門知識の教育に欠けているものは何か

日本に帰って数年後、自然環境の専門家育成の学校で教えることになった。そこはアウトドアの基本的技術と訓練、そして動植物、森や川に関する環境の専門知識を教えるところだった。意欲的な若者が日本中から集まり、そこで私はカリキュラム作りから実際の指導まで経験した。日本もようやく自然を大切にする動きが出てきたことが嬉しかった。ただ新たな疑問も出てきた。

 

動植物の知識やアウトドアの技術にたけた専門家と呼ばれる人間が増えれば、人々はこの地球で自然を壊さずにいい生き方ができるのだろうか。自然の専門家と呼ばれる人たちの心の教育は?知識と技術と体力で武装することだけが大切なのか?さらには、自然や環境の仕事をしていない世の中のほとんどの人たちが求めているもの、必要としていることに誰が答えているのか、と。必要なものを必死に寄せ集めて、身に付けてゆくことが人の世界では評価される。あれもできる、これもできる。こんなに沢山のことを知っている。そうなるために努力をすることが大切だと。それが自信につながる、という。でもほんとうにそうなのか。

 

そんな時、小さい頃からネイティブ・アメリカンの技術と哲学を習い、今はそれを教えている人がいると聞いた。それはトム・ブラウンという人だった。今は亡き彼の先生は、スト−キングウルフという名のアパッチ族のおじいさん。乗りものに乗らず、自分の足でアラスカから南米までの旅を何度も行ない、あらゆる先住民たちが古来から伝えてきた技術と知識と教えを学ぶことに55年を費やした人だった。
私は再度アメリカを訪れ、その一端に触れることになった。
やはりそうだったのかと思うことが多かった。そして初めて知り、驚くことも多かった。
ネイティブの人たちが古来から伝えてきている教えの中にサバイバルという言葉がある。今は、手段を選ばず自分だけが生き残ることをサバイバルと呼ぶことが多いが、本来のサバイバルというのは、大地と調和して生きる道のことだという。つまり、生活そのものなのだ。それは技術であり、知識であり、祈りでもある。自然の中で生まれ育ったネイティブの人たちにとっても、それは一生かけて学ぶ課題のひとつであるという。そしてそうした技術や知識はバラバラに身に付けるものではなく、実はすべてが繋がった一つのもの−彼らはそれをoneness(ワンネス)という。
日本の教育に欠けているもの、そして私のやるべきことがやっと少しずつ見えてきた。

月刊「湧」(地湧社) 2004,1 掲載
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