ネイティブ・アメリカンの世界観と明日への道

文と写真:岡田 淳

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竜巻

まっすぐにどこまでものびるフリーウェイ。いくら走っても変わることのない地平線。そんな荒野の大平原を、もう5時間近くひとり車のアクセルを踏み続け、グランドキャニオンを目指して走っていた。すでにアクセルを踏み込む力も弱まり、ぼーっと前だけを見て走り続けていたその時、目の前に現れたのは大きな竜巻。空まで砂を巻き上げて近づいてくるその竜巻は、もうよけることができないところまで来ていた。竜巻のスピードは早かった。止まっても走っても、竜巻から逃げることはできなかった。車を路肩に停め、窓を閉めてハンドルを握り、祈るようにして目を閉じた。凄まじい砂が車を襲い、車はにわかにフワッと浮き上がり、ドスンと沈んだ。そして、潮が引くように砂嵐の神さまは離れて行った。どうやらぼくは助かったらしい。しばらくして外に出ると、タイヤが砂に埋まっていた。

これが初めてひとり荒野に入り込んだ時に受けた洗礼だった。そしてそんな土地にネイティブ・アメリカンは暮らしていた。それは初めて渡米し、アメリカと出会い、何もかもが大きく異なる文化や、大学での凄まじい勉強に圧倒されていた頃の話である。

アナサジ

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アメリカで環境のことを学ぶ中で、人がその自然を実際に体験する重要性を感じ、ウィルダネスと呼ばれる荒野を何週間も歩いた。美しい大峡谷、移り変わる季節や一瞬にして雪に覆われる平原の美しさ。その圧倒的なスケールの大自然を美しいと感じながら、一方ではそれと通じ合えない自分を感じていた。
その息づいている大地の鼓動やスピリットに感動をおぼえながらも、自然環境の知識やアウトドア技術だけでは到底カバーできない大きな力を前に、どう対応したらよいかわからない自分がいた。

そんなある日、誰もいない峡谷の中腹に、日干しレンガでできた、古い遺跡ともいえる家を見つけた。それはアナサジと呼ばれるプエブロ族インティアンの先祖にあたる人たちの遺跡のひとつだった。茶色の岩山の中に一体となって隠れているその家の中に入ると、窓穴からは遠くの平原や川が見渡せた。ふと足下を探ると、まるで岩のように硬くなった粒がポロポロと落ちている。それは千年以上も前のトウモロコシの粒だった。かつてここに暮らした人の気持ちやぬくもりを感じた。

その時、今まで距離のあったネイティブ・アメリカンと呼ばれる人々を身近に感じ、興味をもった。この厳しい大自然の中をどうやって生き抜いてきたのか。川からはるか高いこの家までどのように水を運び、またトウモロコシをどこでどう育てたのか。

その後さまざまな部族を訪ね歩く機会を得て、ネイティブ・アメリカンたちがもつ 自然の中で生きる知恵と技術の奥深さを次々と知ることとなった。

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ワンネスとサバイバル

数万年の歴史をもつと言われるネイティブ・アメリカンの生き方は実に力強く、シンプルで、決してぶれることのないものだ。

我らはこの母なる大地に生を受け、その恵みによって生かされている。その恵みを分かち合うすべての命は兄弟であり、つながった存在。人間だけでなく、鳥や獣はもちろん、木や石、そして循環する水までも、私たちの身体や命の延長なのだ。

大地は人間のものではなく、私たちひとりひとりがこの地球の一部である。それゆえに、我らは地球の子どもであり、宇宙の子どもでもある。

この「すべてはひとつである」という世界観をワンネス(ONENESS)と言う。ワンネスは時空を超えた万物のつながりを表している。自分の命は、数えきれないほどの先祖たちとつながっており、自分たちの子どもたち、そしてまだ見ぬ孫の孫たちの命ともつながっている。

さらに彼らの伝える生きる知恵のひとつ「サバイバル」というのは、自分ひとりがまわりの敵をなぎ倒して生き残ることではなく、自分の家族や仲間が母なる大地と共に生きながらえることを指す。その技術はシンプルであるが高度である。目に見えないすべての動きや要素を常に感じ取り、適切な判断とその対処をする技術。それは気づき(AWARENESS)の技術であり、自然とつながる技術である。それを身につけるためには、自分の知識や経験だけに頼るのではなく、常に謙虚な祈りの心をもつことが重要となる。Great Spirit(神)が導いてくれる道が見えるか見えないか。サバイバルの技術は、このような精神性と一体のものなのである。

このシンプルでわかりやすく、自然な思想に出会った時、ぼくは言葉にならない感動と 深く静かな喜びを感じた。そのすべての教えが腑に落ちるものであった。やはりそうだったのか。これこそまさに、人が行くべき道だと感じた。それは懐かしくもあるが、しかしさらに想像を超えたスケールの世界観と教えである。

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環境教育のこれから

環境教育の役割は、自然遊びのお手伝いだけではない。
すっかり閉じて人任せにしてしまった危険察知能力や、ないがしろにしてきた いのちを与えられ生かされていることを喜び感謝する心を取り戻すために、そして人が本来進むべき道に戻るために、本当のサバイバルを伝えることも大きな役割のひとつなのではないだろうか。

そのために私たちがいつも心に留めておかなければならないことは、まず環境教育に携わる人間ひとりひとりが、心から謙虚になること、生かされていることを喜び感謝すること、そして、私たちが全体の中の一部であることを、知識としてではなく、身体と心全体で認識することである。

そのために自然はすばらしく大きな役割を果たしてくれるのである。

 

ー「地球のこども」(公益社団法人 日本環境教育フォーラム)
2010年6月号掲載文に加筆訂正したものです。
※文章、写真の無断転載を禁じます。

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