いい年になるといいね

2020年の終わりが近づいた頃からモヤモヤしていたこと。
それは 自分も含めてたくさんの人が挨拶のように言う
「来年/今年はいい年になるといいね」
という類の言葉。

それは当たり前の願望だし
そう思うことは当然で
みんなが「来年『は』いい年になってほしい」と願う。
確かに「も」ではなくて「は」と言いたくなる時代が続いているし。

だからその通りなんだけど、なんだかモヤモヤ。

そのモヤモヤの原因を考えていたら
こんな疑問に行き着いた。

この言葉を言うときに人は自分をどこに置いているんだろう?色々起き続けるよくないことが
みんな外の原因によって起きていると思ってる?

自分には関係ないところで
政府だったり 自然だったりが悪さをして
よくないことが起き続けている。

その原因には自分は含まれない感じ。
そこへの違和感。

自分には責任もなければ
なんとかできる術も持たないという圧倒的な受動的立ち位置。

あるいは完全逃避?
まるで透明人間のような。

本当にそうなんだろうか?
本当に私たちには何の責任もないのだろうか?
本当に私たちにできることは何もないのだろうか?

そう考えると
ベクトルを少しずつでも自分に向けてみるっているのは
結構大事なんじゃないか
と思った。

いい年になるかどうかは 
実は大いに自分にかかっているということに気づきたい
と思った。

そしてそれこそが希望の一歩だなと思った年の始まり。
みなさま 今年もどうぞよろしくお願いします。

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