doing と being

「なにをするか」じゃなくて「どう在るか」なのよね。
最近知り合った仲良しの一人がつぶやきました。

なるほど!
それを聞いた瞬間、すごく腑に落ちたのです。

「なにかをすること」は「どう在るか」を確認するためのツールなんだ。
あるいは「なにかをすること」を通して「どう在るか」に向かって歩いて行くんだ。
そういえば Earthmanship のプログラムの目的地はすべて「どう在るか」だなぁ…とあらためて気づかされた私。

例えば「地球のケア・テイカー」は森の手入れ、沢の手入れをするんだけれど、その作業が目的ではなくて、それをすることで「自分がどう在るか」「どう在りたいか」を確認する時間なのです。
それが実に楽しく、気がつくと自分の土台が柔らかく耕されている。

今の教育、社会はともすれば「なにをするか」にだけ焦点が当たっているように思います。
それは残念なことに、非常に薄っぺらな人間を育て、その結果 非常に薄っぺらな社会が出来あがるわけです。

もったいないですね。
もっと人間の根っこを耕す教育が広がってほしいし、厚みの在る人間、厚みの在る社会を目指したいと心から思います。

「どう在るか」に向かう学び場として、Earthmanship も しっかり歩き続けようと思います。

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