分をわきまえる ということ

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先週末、気仙沼の鹿折中学仮設住宅でカフェを開いてきました。何度も通った気仙沼ですが、しばらく間があいてしまって7月以来 久しぶりの訪問でした。

今回は「夜カフェ」と「昼カフェ&いろいろワークショップ」を開いたので、前回よりももう少し向こうのみなさんのお話に耳を傾ける時間がありました。

また戻って来れたという嬉しさと、その2日間がほんとうに楽しかったということははっきりしているのですが、実際のところ、全体の感想はそう簡単には言葉になりません。
被災地の現状と同じように、人びとの心も行きつ戻りつ、前に進んでいるのかどうか、自分でも分からないという状態なんだろうなと想像することはできますが、本当のところはやっぱりわからない。

そんなことを考えていたら「分をわきまえる」という言葉が心に浮かびました。人に対して、自然に対して、物事に対して、分をわきまえた接し方ってものがあるんじゃないかと。

私たち直接被災していない人間が、直接被災した方々にできることなんて限られているし、被災するとかしないとかに関係なく、人間がそれぞれ抱える問題を解決していくのは、やっぱりその本人にしかできないことで、周りの人間にできることはとても限られている。だけど周りの人間にできることもあるし、その役割もとても大切で。

だからみんなが 分をわきまえた心持ちと立ち位置 で行動できればそれでいいんだろうなと思いました。

政治の世界も、教育の世界も、医療の世界も…考えてみると、ありとあらゆる世界で「分をわきまえない」行動がはびこっていることが問題なんじゃないかなぁ。

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