言葉を無意識の領域に追いやってはいけません

ことばに無頓着になると、いろんな悪い企みが簡単に実行できるようになる。
例えば「副反応」ということば。
以前は「副作用」と言われていた部分が、ある時からスルッと「副反応」に変えられていった。
でも私を含む多くの日本人は、そこに気を止めることもなく、まるでそれが最先端の言葉であるかのように「副作用」を「副反応」と言い換えて生活を始めた。

さて、この二つの言葉、何が違う?
それは主体が違う。
副作用の主体はそれを起こすものーつまり、薬であったり、ワクチンであったり。
でも副反応の主体はそれが起きた人ーつまり反応が出たあなた。
作用を起こしたものに問題があるかもしれないという意味から、反応が出たあなたに問題がある。
するりと書き換えられた私たちの脳みそ。

これは昨年の全体を学ぶ学校でアーサー・ビナードさんが気づかせてくれたこと。

部分しか見ないことの危うさの上に言葉への無頓着さが拍車をかける。

「オーガニック」「ワクチン反対」
こんな言葉に飛びついて、信じると他の部分は目に入らなくなるのか。
私が賛同した【限られた人のためのオーガニックは私たちの目指すところではありません】声明にもあるように、この地球上に必要なのは全ての命に心からの敬意を払い、やるべきことを選んでいく力であり、その力を持っている人々。
オーガニックを褒め称えながら、同時に特攻隊を「日本を守るために力を尽くした英雄」などと褒め称える心は、決してこの地球とそこに生きるすべての命が望んでいるものではありません。

ことばをもう一度見直してみましょう。
そして全体を見る力を育てましょう。

全体を学ぶ学校2025 
ことばが生まれるところ~詩人と一緒に表現の源を探る
9月5日(金)夜〜7日(日)
山梨県北杜市武川町にて開催です。  

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